我らが練習場この学び舎で、またコンサ-トが開けるのも、Y先生のおかげでしょう。
昭和52年秋、この学校を訪れると、体育館に美しい愛唱歌の表しがあった。
県音楽教育界に冠たるY・N先生の作曲。
御方に、若輩の我、数多く面会するも、雲の上の存在なり。
知れば、その旋律かくも美しく。
感謝の意を込めここでコンサ-トを開くと盛会になり、鑑賞する生徒達の印象が
まことに良かった。
20年も前か、そのコンサ-トの後、ここで学んだ生徒を私は教えた。
授業中、じっとしていることの出来ぬ様を、めいっぱい説諭すると、じっと私の目を
見つめていた。
コンサ-トを鑑賞していたあの時のように。
平成27年5月、またこの学び舎でコンサ-トを開くと、盛会。
先生と生徒達の愛唱歌歌唱が素晴らしかったので、私は、教える生徒達にその
音楽を聞かせた。とある緑の美しい丘の上のコンサ-トと伝えた。
すると間もなく、我が教えの場に、ある少年が入校した。
かの緑の美しい丘の上の学校で学んだ少年であった。
真面目な少年であった。
何と、吹奏楽部に入部した。
私は、かのコンサ-トのことなど一言も語らなかった。
我が勤務校は県西の果て、やはり緑の美しい丘の上。
何と校歌は、かの名士Y・N先生作曲。
故人は県内至る所に遺作あり。
音楽のえにし、人のえにし、
我が団の活動もその輪の中にあるのでしょう。
またやって来る緑の丘の上の学校のコンサ-ト!
M.M