これについてはいろいろな要素があるだろうが、ここで一つ、人を理解する力というものを挙げてみたい。つまり、人が何を思い、何を考えているのか、自らの思い込みによらず、純粋に理解しようと努めるということである。
とても難しいことだと思う。なぜなら、人はつい自分という狭い視点から人を見てしまうからである。肉体的、精神的に追い込まれれば、なおさら正しく人を見ることは難しくなる。人の立場に立って物を考えることなどできはしないだろう。
人を理解するためには、わからない人の心を知りたいという欲求が必要である。何の見返りも求めない、ただ、知りたいという純粋な知的欲求である。
どれだけ何かを知りたいと思えるか。
何故と疑問を持てるか。
その程度に応じて人を理解する能力、言い換えれば人の知性は決まると私は思う。
私の推測ではおそらく人を理解する能力に長けている人というのは数多くの素晴らしい人との出逢いを経験しているはずである。もっと言えば、人が残した言葉を数多く見聞きしているはずである。その最たるものは本であろう。つまり本を読んでいるということである。
本を読めば、短時間で数多くの人の考え方を学ぶことができるからである。それにより人をいろいろな角度から見ることができるからである。
表面的なものばかり見ていても意味はない。大事なのは結果ではなく、結果に至るまでの思考の過程、つまり物の考え方を学ぶことである。人を理解するためには、人の思考に迫らなければならないのである。
本を読むということは人に出逢うことに等しいと私は思う。本を読むことで、人の思考に、人の心に触れることができる。そして自分という狭い空間から解き放たれ、新たな世界を、私は見る。自分が変われば世界はまるで違ったものに見える。
本を読めば、考え方を学べば、より広く、深く、人を理解することができるはずである。
少々長くなったが、結局何が言いたいかと言えば、人を理解する能力が人と人との間に調和を生み、人を感動させる音楽を生み出すことができるのではないかということである。
技術的に完璧な演奏も素晴らしいには違いない。しかし、心の通い合った人たちから生まれる音楽にはそれに勝るものがあると私は思う。
人の想いは様々なものを経由して人の心に届くものである。音楽もまた、その例外ではない。